壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.104

◆やっと、ドキュメンタリー映画「ロッコク・キッチン」が、情報解禁になりました。もちろん、まちポレいわきでも上映いたします。

そこで今回はひと足先に、ベースとなったエッセイに触れた173号を紹介します。この稿を書いた後に映画も見たのですが、それはまた別の機会に。

◆『まちポレ壁新聞』最新174号『あうん』(12/9発行)は、5階ロビーに掲示中です。

※151号以降のバックナンバーのファイルもあります。

 

まちポレ壁新聞 №173  2025年11月27日

うちへ帰ろう

駅前純情シネマ その66

その言葉はある日、友人たちがやっているラジオ番組から流れてきました。

「げんとう」。そう聞いて、皆さんは何を連想しますか? 時期的なこともあり、やはり「厳冬」を思い浮かべる方が多いでしょうね。ちなみに自分のスマホの変換候補には、「幻冬舎」や「幻塔」といった言葉が出てきました。前者はなるほどですが、後者は何のことやら不明でその場で検索してみました。その結果は、ゲームでした。道理で私が知らないわけだ。

その番組が映画絡みということもあり、私はすぐに漢字で「幻灯」だと分かったのですが、おそらくほとんどの人はイメージが湧かない言葉だと思います。

これは、その友人が子どものころ、明治生まれの祖母から発せられた言葉だとか。活動写真よりも遥かに古い言葉です。私の場合は、幼少のころ家族で映画に行ったことがほとんどなかったので、漢字はすぐに浮かんでも、家庭でのそういう会話自体ありませんでしたけれど。

 

翻って、これが「ロッコク」という単語になるとどうでしょう?  「全国区」ではないけれど、浜通りや茨城県で暮らす人々のほとんどは「国道6号線」のことだと分かるんじゃないでしょうか。

そんななじみ深い言葉がタイトルに入った、「ロッコク・キッチン」というドキュメンタリー映画が製作されたのです。そして、その製作サイドの方が「相談」、早い話が上映してほしいということでいらっしゃいました。

現在のところ国内においては、10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭にて上映されたのみで、一般公開は来年の予定です。まちポレでの上映の有無については、まだつまびらかに出来ませんし、私自身、完成した作品も未見です。

 

ただ、原作本(という表現をしていいのかどうか)が、11月20日に出版され、いわきの本屋さんでは平積みになって店頭に並んでいます。

もともとは、相双地区に暮らす人たちから募集した、食にまつわるエッセイがベース。それに応募してくれた方や関わりのある人々を訪ね歩いた記録をまとめたものが雑誌に連載され、更に加筆・修正して出版されたのです。

原作者の川内有緒さんは、「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」を著した方で、これも「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」というタイトルでドキュメンタリー映画になりました。まちポレでは上映していませんが、市内ではいわきアリオスに於いて、2年前だったか、一日だけ製作関係者を招いての上映会が開催されたという経緯があります。

いつもの長いあとがき

完成した映画はまだしばらく劇場では見られそうもないので、ひと足先に原作を読むことにしました。プロローグ、エピローグを含め、全21章からなります。川内さんはずっとノンフィクションを書いてきたようですが、対象者に優しく寄り添う視点は常にニュートラルで柔らかいものです。すぐそばにいるのに、どこか俯瞰的な距離感も保ち、感情に流されていない分、逆に胸に迫ります。

それだからでしょう、取材者から素敵な言葉が紡ぎだされます。特に、「○○が(伏せます)あるのとないのでは、大きな違い」という言葉は私にとって衝撃的で、一生忘れられないものになりそうです。この空白部分には、各自その人にとっての大切なものを入れることも可能ですね。

このエピソードを含め、映画は主に3編からなるようです。

私は、夜から翌日の午前にかけて原作を読んだのですが、すぐその足でロッコクを北上して、舞台となった場所、人たちに会いに行きたくなりました。

今は早く完成した作品に会いたいという思いで包まれています。

 

しかし、実生活は相変わらず家の整理に追われ、映画に割ける時間がほとんどないのが実情で、「さよならはスローボールで」は、2ヶ月ぶりとなるまちポレでの映画鑑賞となりました。

腹の突き出たおっちゃんたちが、解体されることになった球場に集い、憎まれ口を叩きながらウダウダと延々野球をする、ただそれだけの話です。身もふたもない言い方と思われそうですが、実際にそうで、日没になってもゲームは続きます。これから見る方のためにこの先は略しますが。まぁあまりいらっしゃらないでしょうけれど(笑)。なんだかのんびりと風変わりで、ミョーな愛着を感じる作品でありました。

 

友人が、「TOKYOタクシー」を見てきました。封切最初の週末に行ったということは、それだけ期待していたからなのか、同業者としての性ゆえかは不明ですが。とにかく、中身について語れるようになったことはめでたい。

以前、映画館が物語の舞台となる「光の指す方へ」を見たとき私は、「映画の嘘は許せるけれど、物語の嘘は」という表現を用いましたが、「TOKYOタクシー」でも、映画の嘘に同業者ゆえ気付いたという感想を友人は述べていました。ただ、それでも涙してしまったそうです。

誤解しないでほしいのですが、泣けたから優れた作品と言っているわけではありません。私がそれを聞いたときに思い出したのは、同じ山田洋次監督作品「虹をつかむ男」です。あれを見て滂沱の涙を流した私ですが、別に手放しで作品を称賛しているわけではないのです。自分の環境や境遇が多分に影響するというだけです。人生いろいろ。人もそれぞれ。         (沼田)