壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.89

◆最新161号をお読みいただければ分かる通り、壁新聞は「映画館の日常エッセイ」とでもいうべきものなので、お客様や友人知人などとの会話を端緒に展開することが多くなります。一年前に出した133号はその典型にして最たるもの。ほぼそれだけで完結しました(笑)。それにしても、一年で30回近く発行しているのか。「普通じゃない」ハイペースかも。

 

◆『まちポレ壁新聞』最新161号『時を超えて』(7/1発行)は、5階ロビーに掲示中です。

※131号以降のバックナンバーのファイルもあります。

 

 

まちポレ壁新聞  №133  2024年6月3日

普通じゃない人々

駅前純情シネマ その27

 

とある飲食の席で、初対面の方と同席することになりました。「お仕事は?」と聞かれて「映画館(勤務)です」と返したら、「自分も映画好きなんですよ」というお返事。すぐさま意気投合して…といいたいところですが、ちょっと慎重にあとの言葉を待ちました。すると、「昔は市内に10ヶ所ぐらい映画館が点在していて」と無くなった映画館の固有名詞が続きました。失礼ながら、てっきり「今でもレンタルや配信でよく映画見てます」と続くのだろうと思っていた私の予想は、嬉しい方に外れてくれました。

お歳を伺ったら私と3歳違い。ほぼ同世代なので、映画と映画館にまつわる昔話に花が咲きました。

 

一番印象的だったのは、ファーストデートが「小さな恋のメロディ」だったということ。「あそこ」(О座)はこういうのをよくやってたよね→私が最初に見たのは「ロミオとジュリエット」と「燃えよドラゴン」でしたと同世代感をアピールしたあとは、その方のお話に耳を傾け…。

「相手とはキャンプで知り合ったの」「部活が同じ(ブラスバンド)で」「大会会場で再会したり」「相手は1学年上で、部長」「夜電話するとお父さんが出て、いませんって取り継いでくれなくて」…今と違って、携帯に「直通」じゃありませんからね。だいたいどの家庭でも固定電話は玄関や階段の上がり框にあって、取るのは親と決まっていました。ちなみに「その方が今の奥さんですか?」と尋ねた返答…これは略しますね。

 

それとは別の日、会社にメロンが届きました。お尻を押して熟し加減を見る私。当然、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」でのメロン騒動のエピソードに話を振ります。ただ、元ネタを知らないのであまり興味を持ってくれません。話題を変えて、「向田(邦子)さんだと、<到来物>という表現しますよね」「するするー」という好反応。「おトイレを、御不浄とか」→「昔はあの人の小説結構読みました」と、私が知らないタイトルが挙がりました。→「ドラマだと、加藤治子さん、小林薫さんなどだいたいいつも出演者同じなんですよね」→「そうそう」→「お正月にやってたけどねぇ。『女正月』という言葉は彼女の本で知りました」。

更に話は続きます。「この前の(地下のライブに来た)浜田真理子さん。キョンキョンと一緒に、向田さんの朗読やってるそうじゃないですか。その演出が、向田さんとコンビだった久世光彦さんらしいですよ」。

しかし、これはかなり不正確でした。二人が久世さんのエッセイの朗読をしているのですね。よく考えたら久世さんは何年も前に亡くなっているから、そんなことはあるはずもないのに。ゴメンナサイ。でも、何年も一緒に仕事しているスタッフの、新しい一面を垣間見ることができました。

 

いつもの長いあとがき

 

今ネット上で、かまびすしい話題は「普通は」という言葉。

端的に表せば、「普通は同じ映画を何度も見ない」というふうに<沼>に陥った人たちの行動を指しています。

確かに。昔はそんなに同じ映画を何十回も見るような人は少なかったように思います。大体、他地域の情報を入手するすべがなかったから、遠くまで遠征に出掛けようがなかったはずです。

自分自身を顧みても、新聞で調べた情報を頼りに普段いかない町へ、ウキウキイソイソ映画を見に行ったら、その情報は間違っていて(すでに終わっていた)、やむなく見たくなかった別の映画を見たということがありました。

あ、これって今のシネコン事情に当てはまりますね。見たい映画が終わっていたり(しかも突然)、あるいは行った時間と合わなかったり、満員だったり…理由はともかく、本命とは別の代替作品を見たという方は、かなりの数いらっしゃるはずです。

 

話を戻すと、「シン・ゴジラ」(2016年)の時に、何十回も見ているという常連さんがいて驚きました。さすがに自然とお顔を覚えましたね。

それで思い出したのですが、インド映画沼の民たちは、軽率に?<遠征>へ出かけます。印象的だった投稿が、ある会場に行ったら、いつも顔を合わせる常連さんが少なくて寂しかった。けれど、これは新規ファンが増えている証拠だから、逆にうれしいことだという内容でした。

そうです。常連さんだけでは限界があり、先細りです。底辺のすそ野を広げなければ、ファンは増えません。前にも書きましたが、一人が50回見るよりも一回だけでもいいから50人が見た方が、将来の展望が開けます。

先日の妻との会話は、「(休みなんだから)たまには映画でも行ったら」→「今何やってるの?」→「普通は、何やってるか分からない」と軽いジャブを返してから、「いいのいっぱいやってるよー」と勧めたのですが、なかなか重くなった腰を上げてくれませんでした。

 

会社でも同様です。「かつて映画ファンだった」と自虐的に言うスタッフがいます。でも、「PERFECT DAYS」を見たあとは、饒舌に感想を話してくれたし、パンフレットも買って熟読していました。25年前の「π」(注/まちポレでリバイバル上映)も封切時に見たとサラッと言ってのけます。「内容は忘れちゃった」と謙遜していましたが。

 

我が身を振り返ってみると、二桁以上見た作品こそないけれど、こんな誰が読んでくれているのかも分からない壁新聞を書いて、それを何年も続けていることの方がよっぽど「普通じゃない」のは間違いないですね。ハイ、自覚しております(笑)。                         (沼田)