◆前回に引き続き今回も、比較的新しめの176号をお届けします。
しかし、大晦日に壁新聞打って⇒即元旦に発行するとは、よほど暇なのか(笑)。一年の計があるやなしや。ただ、「伝える。残す」ということに関しては、一貫して唱え続けています。だから、本文中に出てくる友人たちの自主上映会から声がかかった時にもお邪魔したのだし。
これまた本文とシンクロする「ラスト・ショー」。奇しくも『午前十時の映画祭』のフィナーレを飾るのが本作。来年3月、大トリで上映いたします。
そして、暮れに行っている、「今年のラストショー」とでもいうべき『アンコール特集』のうちの2作を、ある理由から早々に決めました。まだ3ヶ月経っていないけれど、おそらく変わることはないでしょう。こちらは12月に再会しましょう。
◆『まちポレ壁新聞』最新184号『記憶の彼方』(3/4発行)は、5階ロビーに掲示中です。
※161号以降のバックナンバーのファイルもあります。
まちポレ壁新聞 №176 2026年1月1日
映画を我等に
駅前純情シネマ その69
17年ぶりの再公開となった「落下の王国」(いわきでは初公開かもしれませんね)のリバイバルヒットも記憶に新しいところですが、まちポレのラインナップを見渡すとこの後も、ヒッチコック没後45年で3作品、ヘップバーンのデビュー75周年でこちらも3本、ロッセリーニ&ゴダールの競演と、クラシック作品が相次いで公開されます。そしてこのタイミングで、真打ち登場といった声も掛かりそうな『午前十時の映画祭』の4月からの開催も決まりました。常々、「残すこと」「伝えること」の重要性を唱えている私としては、我が意を得たりとうれしい限りです。もちろん新作の単館系作品が中心となることに変わりはないので、ファンの皆さんにとってみれば、スケジュールの調整で頭を悩ませることになるかもしれません。
映画を見ない人の決めゼリフ(言い訳ともいう)として、時間を取られるのを挙げることが多いかと思います。確かに2時間なりはかかるし、その前後に出向く時間が必要なので、どう少なく見積もっても3時間は空けなければなりません。つまり、半日はつぶれるわけです。タイパ重視の現在に於いてはリスキーなことです。しかも、昔のように1日中同じ作品を上映しているわけでもなく、下手したら一日1回限りという場合も少なくありません。特に、まちポレのような単館系になるとそれは顕著です。更に、2週間限定という短期間に合わせなければならず、尚更ハードルが一段上がります。
10月以降物理的に映画に割く時間を取りにくくなった私は、それにとって代わって読書を充てることが多くなりました。映画と違って何よりも便利なのは、所かまわず15分も時間があれば可能ということです。換言すれば、スケジュールの調整が必要ないということです。
「ロッコク・キッチン」に登場するお店を訪れた際、双葉町に進出した会社が公募していたエッセイの入選作をまとめた冊子が隣に並んでいて、しかも無料ということで持ち帰って読んでみました。プロではない方の公募作で、タイトルは失念しましたが、決して侮れない作品が多数見受けられました。あとは、一度読んだけれど、全く頭に入っていない「『七人の侍』と現代 黒澤明 再考」(四方田犬彦著)を再読。内容云々よりも、もっと平易な言葉で語ってほしいというのが感想。次いで、「日本橋に生まれて 本音を申せば」(小林信彦著)。この著者のは20~30代のころ読みふけって、笑いに対する拘り、ホンモノを見極めること、シニカルな視点など「結果として」かなり影響を受けたと思っています。本作は週刊文春に連載されていたものをまとめたもので、著者にとって最後のコラムになるかもしれません。久しぶりに著者の作品に触れましたが、大病を患ったせいか、はたまた高齢のためか、毒が消え、丸くなった印象があります。副題とは裏腹、「本音」はオブラートに包んでいるんじゃないのかなと。
いつもの長いあとがき
友人たちが自主上映会を毎月行っているのですが、それがまもなく三桁の大台を迎えるそうです(正確に言えば、名称を変えてから)。単純計算で丸8年。まちポレとほぼ同じ年数か。この継続は驚嘆に値します。そして、2026年のしょっぱなにセレクトしたのが「佐藤忠男、映画の旅」というから驚きしかありません。快挙であり、一方で暴挙(←褒めてるつもりです)ともとらえられます。映画の世界を評論、そして育成という後方から支えた第一人者の佐藤さんを描いたドキュメンタリー。まちポレでの上映も頭をかすめはしましたが、結局は通過せざるを得ませんでした。ご盛会を祈念いたします。
興行の世界に身を置く私ですが、最後にわがままを許してもらえるなら、何をラストショーにしようかとふと考えることがあります。結果、あれもこれもとエンドレスになり、決まらないのですが。
自分がいなかったら上映されなかった作品は、確かにあります。その一方で、私がいたから上映できなかった作品があまたあるのも、また事実です。
「伝えたい」「残したい」と思っても、そのためには観客が伴って、しかも続かなくては意味がありません。そのためにハードルを上げるか下げるか、その匙加減が悩みどころです。2025年は、興行のジレンマと戦った一年でもありました。
SNSの投稿で、「30日か。レコ大に、紅白、『駅 STATION』だ」という書き込みを見かけました。3つ目に映画タイトルが挙がっている理由は理解しているとして仮定して筆を進めますが、大晦日の紅白オンエアー中にパソコンを引っ張り出したら、妻から「何するの?」と問われました。「壁新聞」と返して呆れられた私です。
壁新聞も2026年末ぐらいには200号の大台に乗ることでしょう。「大晦日まで仕事なんてエライ」友人に言われましたが、壁新聞を仕事と思ったことは一度とてなく、それは多分これからも。
「伝えること」「残すこと」は、「→(その先が)」または「=」で「育てること」に繋がると思っています。「見せましょう、映画の底力を」「信じましょう、映画の底力を」。楽天の選手だった嶋選手の言葉を最後にお借りして。
(沼田)











