壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.5

◆やっと、現時点での最新号に追いつきました。マサラ上映に合わせ、そこから逆算して書いてきたので。今回取りあげた2作品は、『まちポレ支配人セレクト 今年絶対にスクリーンで見ておくべき映画』の有力候補です。暮れにまたお会いできる…かも⁉

まちポレ壁新聞№102    2023年2月23日

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.67)

飲みかけの紅茶

「寝食を忘れる」という言葉がありますね。人間が生きていく上で必要不可欠な寝る、食べるという二つのことを忘れてしまうほど没頭するものがあるとしたら、それはある意味とても幸せなことかもしれません。

 学生時代は片っ端から映画を見まくり、月平均20本見た年がありました。邦洋新旧長短一切問わず、何でも見てました。
 睡眠に関しては、万全を期す意味でも早めに床に就くよう心掛けていましたが、一方食べる方は、映画に回すお金を貯めるために節約してました。同時にそれは移動時間の短縮も兼ねていて、よく駅の立ち食いや、あるいは館内の売店のパンで済ませたりしたこともあります(これは、名画座は2本立てが多かったことも一因)。だから、食べるのを忘れはしないけれど、時間が取れなかったというのが正確に近い表現かもしれません。

 これは、映画館のドリンクと言えば、自販機の缶ジュースやコーヒーがメインだった頃のエピソードです。
 場内最前列に陣取り、寒い時期だったので自販機で買ったホットの缶コーヒーをカップホルダーに置いて、いざ映画は始まりました。窮地に陥りボヤキつつも、<死んでも死なない>タフなヒーローの活躍と巧みに取り入れられた小道具、ちりばめられた伏線の妙に唸り、さらに脇役や伏兵に至る俳優たちのアンサンブルに心躍り、最後にベートーベンの第9が流れるに至ってやっと我に返り、コーヒーを飲むどころか開けるのを忘れていたことに気付いたのでした。もちろん缶ですから、2時間12分後は完全に冷めていました。その映画のタイトルは「ダイ・ハード」(1988年)。それなのにお客さんは少なく、こんなに面白いのにどうしてお客さんが入らないんだ!と憤まんやるかたなく思ったのを覚えています。 

 「RRR」を見て思い出したのが、この「ダイ・ハード」でした。
 主役の二人は、まさに<死んでも死なないタフな奴>で、息もつかせぬ展開に肩に力が入って体はこわばり、途中で『INTERVAL』の字幕が出たときに至っては、エッまだこれで半分なの⁉と驚いたものでした。これは別に長く感じたわけではなく、こっちの体が持つのかという意味においてです(笑)。私が見た劇場は途中で文字通りの『休憩』が設けてありましたが、私は立ち上がることができずに、姿勢だけ変えて座席に突っ伏しておりました(笑)。

 2週間後に再見したときには飲みかけのペットボトル紅茶を持ち込んだのですが、途中からはまた飲むのを忘れて見入ってしまいました。これだけ熱くさせるのは、「♪義理と 人情 秤にかけりゃ」的世界だからかと、あとになって思い至りました。ラストは、殴り込みに行く健さんにそっと番傘を差し出す池部良さん的風情さえ感じます。そういえば「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970年)も泣けて仕方なかったんだよなぁ。
 
 いつもの長いあとがき

 余談になりますが、これまで「タイタニック」や「アバター」をはじめ、「RRR」以上に上映時間の長い作品はあったにもかかわらず、どうしてこの映画に限って〈途中休憩論争〉が沸き起こったのかという素朴な疑問が沸き、インド映画愛好家にズバリ聞いてみました。すると、「インド本国で休憩が入るから」という極めてシンプルな返答がきました。なるほど、だから本編に「INTERVAL」とクレジットされているのですね。
 この作品の休憩の有無に関するあるアンケートによると、途中休憩あり賛成=4割、反対=3割ぐらいの比率だったとか。
 私は一気見支持派なのですが、再見の時は余裕があったせいか「別にあってもいい」という消極的支持でした。

 今月もう一本、長い作品を見ました。「モリコーネ 映画が恋した音楽家」です。80代後半になっても、せっかち気味にタッタカ室内を歩き、朝のルーティーンと思われるストレッチをする描写から映画は始まります。最初の15分ぐらいでしょうか、映画音楽の仕事に入っていくまでのインタビューが分からない人物だらけで退屈に感じましたが、その後映画音楽の話に入ってからはアッという間の2時間37分でした。
 これは、編集の妙もありましたが、製作に当たってジュゼッペ・トルナトーレ監督がプロデューサーに頼んだという、過去の担当した作品の映像がふんだんに盛り込まれているからです。鑑賞後、最近こんな作品を見たように感じてあれこれ思いめぐらしたのですが、そうだ!「男はつらいよ お帰り寅さん」(2019年)だと思い至りました。あの作品も過去作が巧みにかつ自然にインサートされ、まるで50年間にわたる長い歳月を描いた一本の作品を見ているかのようでした。
 対してこちらは91年の人生。盟友セルジオ・レオーネ監督は小学校の同級生だったとは、初めて知るエピソードでした。これで思い出したのは「壬生義士伝」(2003年)です。あの作品の滝田洋二郎監督と出しゃばらない名演を見せた山田辰夫さんは高校の同級生と見た後で知り、道理で<寄り添っている>感がヒシヒシと伝わってきたわけだと思ったものでした。
 話がそれましたが、本作の副題は「映画が恋した音楽家」です。<に>ではなく<が>です。ここはポイントです。誤記しがちだけど、本編を見ればもうそんなことはないはず。このタイトルを付けた日本のスタッフもモリコーネ、そして本作に心酔しているんですね。   (沼田)