お知らせ

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.49

◆最盛期には週刊(=習慣)だったのに、今では月刊と化した壁新聞。実は3/30付け最新128号の後半部分は、このアーカイブの『継承』という言葉にインスパイアされて書き始めました。ただ、黒澤明という名前も、小泉堯史という名前も出していませんでしたね。意識的か、それともスペースの都合かの判断はお任せしますが。
 そんなわけで今回は、1年ちょっと前の99号を取りあげます。

◆『まちポレ壁新聞』最新128号『超弩級』(3/30発行)は、5階ロビーに掲示中です。
 ※111号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞 №99 2023年1月31日

継承

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.64)

 ある日弊社代表が訓示の中で、「まるで草野球のキャッチャーだ」という健さんの台詞を引用しました。きょとんとする一同。そこで私が〈解説〉する役を買って出る羽目に。
 「幸福の黄色いハンカチ」の中で、桃井かおりさんに迫る武田鉄矢さんに言うセリフです。「ミットもないちゅうことや」。元ネタを知らないみんなの反応もイマイチだったから、尚更ギャグを説明する虚しさを味わいました。

 これに対し、元ネタを知っている私の回りの映画館勤務経験者が返した言葉は興味深いものでした。
 ①「草野球も見かけなくなった」
 なるほど、この単語自体が死語になりつつありますね。息子が小さい頃、キャッチボールをしに公園に出かけたけれど、確かにボール遊びをしないでくださいという看板を見かけました。空地はあっても、〈原っぱ〉はなくなりつつあります。野球人口の減少が叫ばれるのは、底辺がこんな状況だからでしょう。
 ②「今時の草野球で、ミットが無いってことがないから(通じない)」
 これはこれで的を射ています。例えばスポーツ少年団に入るにしても、まず道具を揃えなければなりませんから。親の負担は大変です。

 ①の発言の主は私と同い年なので、話が通じやすい。「未来惑星ザルドス」の時に例のフンドシ画像を送ったら、封切の頃(1974年)は第一次オイルショックと重なり、この作品を特集したキネ旬の紙質が良くなかったという返信がきました。私はスクリーン誌さえ購読前のことで、これは知りませんでした。
 彼は、水戸映画祭ではフィルム映写を担当しているので控室に詰めていたら、「偶然と想像」のゲストの中島歩さんが「中島ですが、控室はどこですか?」といきなり入ってきたそう(運転もご自身で)。以前芝居で出演した会場(ACM劇場)だから懐かしいという言葉を残して去った後、「いやー、『偶然に遭遇』してしまった」と言ったらみんなにウケたとか。

 ②の友人は、閉館した池袋の映画館が行った備品のオークションについて、「思い入れのある映画館だったら、扉と椅子2脚ぐらいなら買うかも」とよこしてきました。なるほど。思いを同じくする個人が多数いたのか、あるいは同業者が買ったのか、完売したという噂も耳にします。確かに、確かに、椅子は分かります。が、扉はどーすんの?(笑) 庭に置いて、どこでもドアを作るとか…。そうなったら、ネオン看板に続いて、また映画アーカイブ行き?(笑)(←映画アーカイブの「日本の映画館展」に貸し出し展示されました)

いつもの長いあとがき

 NHKを見ていたらBSの番宣があり、「太陽がいっぱい」と「明日に向って撃て!」が放映されるのを当日の朝に知りました。急いで予約準備をしたら、何と既に前者は予約済み。後者もかなと期待しながら番組表をスクロールさせましたが、残念ながら先約は入っていませんでした。
 妻が私のために録ってくれたのか、あるいは妻が好きな映画音楽の作品だからなのか帰宅後尋ねたところ、「自分が見たかったから」とのことでした。なぁーんだ、私のためじゃなかったのか(笑)。妻は「リプリー」(1999年)世代なのですが、義母が映画音楽好きで、子どもの頃よく聞かされたと言っていました。早速、翌日に見てましたよ。親から子への継承。ちょっといい話です。

 親子と言えば、前出①の発言をした友人は、昨夏、島田陽子さんの訃報をいち早くLINEで知らせてくれたのですが、「『砂の器』の出演者がまた一人亡くなった」というコメントを添えてきました。初耳だった私は、「そ、そんな訃報、知らねぇ。ショック」と返しました。既読が付いた彼の脳裏には丹波哲郎さんと加藤嘉さんが対峙する場面が浮かび、耳元であの音楽が流れたことは想像に難くありません。
 ここで、「どゆこと?」と言われると、またしても冒頭の二の舞になってしまうので、分らない方はスルーしますよ。

 二か月後、ゴダール監督が亡くなったときは→「『勝手にしやがれ』ぐらいは上映したかな?」→「(アルバイトした映画館で)『気狂いピエロ』やったとき、お客さんがみんな『きぐるい』って言ってくるから、自分が間違っているかと思ったと当時の支配人が言ってた」→「伊藤雄之助さんが亡くなったとき、この人の代表作は『気違い部落』だけど、多分どこのマスコミも触れないと思うと友人が言ってた」→「オレ、教育テレビで見たよ」→「何と!」…なんていうやり取りもしました。チェーンのようにとめどなく繋がっていきます。

 三谷幸喜さんは、朝日新聞に連載している「ありふれた生活」の中で、自分たちは和田誠さんなどの先達から、映画にまつわる様々なことを教わった。今度は自分たちの世代がその役目を負う番だといったことを書いていました(1/21付け)。これは、数年前に私が映画の市民講座を引き受けたときの心境と同じです。もっと言ってしまえば、この壁新聞もそんな気持ちがないわけではありません。ただ単に書くことが好きだから続けているだけで、あとは友人たちに送った時点で完結しているので、別に反応の有無は気になりませんが、誰か一人でも何かを感じてくれる人がいてくれたとしたら、それ以上の至福はありません。
 気が付けば四年数ヵ月続いて、まもなく3ケタの数字になります。誰にも知られず(笑)、よく続いてるなぁと自分でも感心してしまいます。    (沼田)