壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.15

◆『壁新聞』と言いながら、今回は他に書いたものを紹介。この電子版の初回に紹介したものと同様、実はいわきアリオスのブログに宛てたもの。本文に記した通り、お話しを頂いた時は書下ろしで行きたいとしたためましたが、それらはほとんどマボロシに終わりました(注/『紙ヒコーキ新聞』2021年6月10日号「至福の柱」を除く)。別に『壁新聞』との棲み分けを考えて書いていたわけではなく、違いは単に長さだけ(字数制限なし。主に短い)。だいたい、書いてるのは私だし(笑)。
 ※ご本家「掲示板」の方は、最新版が5月25日発行の110号となります。

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×月×日、いわきアリオス広報担当者よりメールが届いた。「『壁新聞』をアリオスのブログに転載したい」と。オドロキよりも笑いが出た☺ 読者も時期も全く想定せず、あえて言えば《特定少数》向けの同人紙に近く、書いた時点で完結したのも同然でいたからです。
故に、最初はお断りしていたのですが、ただ、下手の何とやらで別のオリジナルでなら…とバクゼンと考えていました。

結果として今回転載に至ったのは(注/『まちポレ紙ヒコーキ新聞』2020年5月27日号。「モリコーネと、レコードと。」)、コロナ禍による長期休館を余儀なくされたからです。とにかくポレポレが映画館として機能していないのだから、何か《発信》しなくてはならないと感じでいました。

最前の<別のオリジナル>、やはりいわきアリオスなら《アレ》しかない!と、初回に関しての題材は決めていました。
おっとその前に、アリオスに書くからといってスタイルを変えるつもりは全くなく、その点に関しては担当者に確認済みなので、読んでくださる奇特な方がいたとしても、《箸休め》、いや《お口汚し》でしかありません、念のため。

さて、やっと本題。
みなさん(この不特定多数を指す言葉は不適切?)は、いわきアリオスのロゴマークがパッと浮かんできますか? そして、それを誰がデザインしたかご存知ですか? スバリ、石井竜也さんです。この名前に馴染みがなければ、米米CLUBのボーカル、カールスモーキー石井さんと呼んだ方が通りがいいかもしれませんね。氏に白羽の矢が立った経緯は存じ上げませんが、ご自身はいわきのお隣北茨城市大津港のご出身、そして親御さんは湯本の出身らしいので(すみません、未確認です)、やはりそれも指名に至った理由の一つなのかなと、勝手に解釈しております。もちろん、デザイナーとしての才能を見込んだ大前提が、第一でしょうが。

そこで、前出した米米CLUBの話題…には行かず、氏のもう一つの顔、映画監督の方です。
これまで2本、監督作品がありますが、やはりデビュー作「河童」について。
1994年の公開以来、今回四半世紀ぶりに再見しましたが、やはり諸手を挙げて賛同するにはいたりませんでした。公開時に現場スタッフから指摘されたという、画面の暗さやセリフの聞き取りづらさは特に気にならないのですが、致命的なのは脚本の弱さです。登場人物たちに感情移入できない。
ただ、少年たちが初めて河童の潜む洞窟に筏を漕いで入っていく場面は、シナリオにはない演出があり、石井監督の才気を感じさせます。
それと、秀逸なのはやはり、今福将雄じっちゃん。その朴訥とした存在感と佇まい。いいなぁ。最初に登場する場面は、『籠をしょった笠智衆さん』といった趣。《別れ》の演出も、感情過多にならず、静かで◎

結局、25年経っても感じたことは当時と同じで、私はちっとも成長しとらん。収穫は、①母親として遺影でにっこりと南野陽子さんが《出演》していたのは、当時監督とお付き合いされていたからと知ったこと。②いわきでも撮影が行われたのを知ったこと。どこなんでしょうね? じゃんがらが出てくるのですが、クレジットは北茨城(大津だったかな?)でしたよ。

「河童」の主題歌は、米米CLUBの「手紙」で、さすがの佳曲です。
そこから短絡この上ない発想で、東野圭吾原作の映画化「手紙」(2006年)も日立の工場でロケされていたので、ビデオで見てみることに。
前半はほとんどが日立セメント工場ロケと言っていいぐらい。ケーズデンキは出てくるわ、茨城オンパレード。余談ながら、「ある町の高い煙突」のJX金属は目と鼻の先。
こちらは、カメレオン俳優(←誉めてます)山田孝之さんを楽しむ映画。そして、さだまさしさんの「償い」が聴きたくなる映画。もちろん、原作も読んでみたくなる映画。想像だけど、原作の方が良さそう。   (2020/5/24)
(沼田)