壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.19

◆今回も、6月16日に出した最新の112号とのセットでお届け。
タイトルデザインをモチーフに書き始めて、金澤翔子さんにも触れた5年前の4号をご紹介します。しかし、5年経って、翔子さんのドキュメンタリーを自分のところで公開する時が来るなんて、ゆめゆめ思いませんでしたね。

まちポレ壁新聞 №4  2018年10月19日

大事な題字

タイトル未定の新しいコラム (その4)

本紙は、まったくもって勝手気ままに作っているものなので、タイムリー性というのは意識していないのですが、<たまたま>今回も「日日是好日」をマクラに。劇中に登場する茶室にかけてある「日日是好日」の書は、何と撮影当時小学生だった女の子が書いたものを、樹木希林さんの勧めにより、採用したそうです。

このエピソードを読んで思い出したのが、「学校」です。
映画の製作中に、実際に夜学に通う生徒が書いたものを山田洋次監督が気に入って、映画の題字として使ったと聞きます。

「学校」もまた忘れられない映画です。

映画界でいう製作延期というのは、ほぼイコール中止を意味するものなのに、松竹の年間ラインナップに毎年掲載されながらも一向に実現に向かわず、さすがに私も無理だなと諦めていたら、遂に、やっと、とうとう、ようやく、日の目を見たのが1993年のこと。記憶では「幸福の黄色いハンカチ」のころには既に載っていたから、少なくとも構想15年以上。それでも企画が流れなかったのは松竹ゆえか、山田監督の執念か。

「学校」実現の前、「男はつらいよ」の中に学校が舞台として登場した作品がある。「寅次郎かもめ歌」(1980年、第26作) だ。蘭ちゃんがマドンナで、とらやに住み込み、バイトをしながら定時制に通うという設定。
その中で、松村達雄(2代目おいちゃん)扮する先生が、便所掃除の詩を詠むエピソードが秀逸なのだが、この場面は、山田監督のデモンストレーションだったのか、はたまた一向に進まない企画に嫌気がさしてあきらめたのか、などと私はうがった見方をしてしまった。ただ、ここが重要なのだが、「かもめ歌」は定時制高校。山田監督がずっとあたためてきたのは<夜間中学> が舞台だ。

完成までこれだけ年月が経てば、山田監督自身の考えの変化や社会情勢の変遷もあり、当初意図したものと変わった部分が出てきたことは想像に難くない。
ラストは、いかにも予定調和的で甘いという指摘もあった。確かにそれは言えるのかもしれない。ただ、私はこの結末が好きだ。人は、希望があるから生きられるのだ。
冨田勲のあのテーマが流れてるだけで、胸がキュンと締め付けらけられる。
「学校」のことは今までいろんな場で書いたり触れたりしてきたけれど、今この年になってしみじみ思う。いい映画だと。その一言だけだ。

いつもの長いあとがき

今回は、題字をモチーフに書き始めたのですが、いわきにいる以上、金澤翔子さんに触れないのは片手落ちというもの。
大河ドラマ「平清盛」が有名ですが、映画のタイトルはというと、昨年の「花戦さ」しか浮かんでこない。もっと他にもあるのかもしれませんが、不勉強でスミマセン。
その筆力については、今更私がどうのこうのいう必要はないでしょう。百聞は、です。とにかく一度、遠野にある金澤翔子美術館に行ってみるべしです。これからの時期も紅葉は綺麗だろうし、美術館のすぐ近くには、ジャズで有名な喫茶店もあるしね。

で、ここでジャズから「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」に強引にこじつけ的に話を持っていきます。
早くから告知して、こちらとしては期待大で臨んだのですが、入りはというと…。ご覧になった方が皆さん満足されているのが、せめてもの救いなのですが。

以下、前回書き洩らしたことなどを。
№3の冒頭に書いた雑誌というのは「別冊暮しの手帖 シネマの手帖」。副題に「DVDで楽しめる250本の名作ガイド昭和篇」とあるとおりのガイド本。
もちろん、この類の本は選者によるばらつきが出るのは当然で、あれが入っていない、なんでこんなのが入ってるんだと言ったらきりがないけれど、セレクトは悪くないと思う。幕間のような川本三郎さんや常盤新平さん、佐藤忠男さんなどのエッセイもいいし、昭和の香りプンプンの映画ポスターや「ニュー・シネマ・パラダイス」のような愛知・西尾劇場のスナップは泣かせる。
紙質を抑えたA4判の雑誌スタイルのため、1,400円と値段も安価。私は大分前にリブロで買い求めました。映画の本というと、私はやっぱりここです。
今では、以前のように「暮しの手帖」を手に取ることはなくなったのだけど、沢木耕太郎さんの連載は今でも続いているのだろうか?

それと。
(注/3号で紹介した)「翼は心につけて」関連のことを調べていたら、石田えりについて、「遠雷」がデビュー作と紹介しているものがあってあきれた。おそらく、きちんとウラをとらずに転載などをしたのだろう。それとも、独立プロの作品は忘れ去られたのか。
この作品が正当な評価に至らなかったのは、単に、見た人が少なかったというのもあると思う。
かつて大黒東洋士氏が、「ロッキー」「幸福の黄色いハンカチ」にベストテンの票を投じないのは理解できないといった旨の発言をした際、松田政男氏がそれに対して、そんなことより、わずか35本ぐらいしか見ないで投票に参加した福岡翼氏の方がオカシイと反論してやりあったことを、トートツに思い出しました。                        (沼田)