壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.64

◆シネマ・ロサ発自主映画→観客が絶賛→口コミで拡大公開→シネコンでも上映。という一連の流れから、『第二の「カメラを止めるな!」』と言われている「侍タイムスリッパー」ですが、ファンからの愛され加減が尋常じゃありません。ただ、若めのファン(想像です)が多いせいか、「蒲田行進曲」を引き合いに出したものは目にしていません。鑑賞後すぐこの2本立てを妄想した私は、ソレをイントロに書き出してたことを思い出し…。
そんな、3年前の54号を紹介することにしました。

◆『まちポレ壁新聞』最新138号『連打!連打!』(10/12発行)は、5階ロビーに掲示中です。
 ※121号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞  №54 2021年9月15日

夢の工場

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.19)

撮影所――何と魅力的で胸躍る言葉でしょう。
「♪虹の都 光の都 キネマの天地…セットの花と輝くスター 微笑むところ」。言わずと知れた「蒲田行進曲」の歌詞の一部です。

もう何十年も前のことですが、幸運にも撮影中のスタジオ見学に二度お邪魔したことがあります。

一度目が1979年5月の調布にっかつ撮影所。
所属していた映画サークルの親睦旅行でのことでした。42年も前のことで時が忘れさせているのか、それとも初めてのことでよほど浮かれていたのか、はたまた緊張していたせいなのか、実際の所内の光景が甦ってきません。撮影風景も見学出来たのかどうか、不明です。
ただ当時のミニコミ誌の記事によると、小原宏裕監督(代表作「桃尻娘」)と鹿沼えりさんにインタビューしています。監督の取材は別班が担当したのですが、鹿沼えりさんの記事には私の署名があります。しかも、女優さんを目の前にして「写真写りの方がいいですね」などと、その場でインタビューを断られてもいいようなことをいけしゃあしゃあと言ってます(笑)。なのに、鹿沼さんは丁寧に応じてくださいました。全く覚えていないのですが、今になって恥じ入るやら感謝するやらです。

このお二方は、事前にか当日かは別にしても、アポは取っていたと思われます。
驚いたのはそのあとです。
食堂で休憩していた我々の目に飛び込んで来たのは、何と何と、所内で「太陽を盗んだ男」を撮影中の長谷川和彦監督と沢田研二さん、お二人の姿! ざわつく食堂内、いやそうなっていたのは我々のいたテーブルだけ。
すぐにカメラを向けたい気持ちを抑えつつ、ひと声かけてから写真を撮らせていただきました。一方の長谷川監督には突撃インタビューを申し込み、気さくに応じてくれました。1979年を代表する映画がその日に撮影されていたなんて、まさに奇跡的! その興奮もあったのか、自分たちが選んだベストテンでは見事にベストワンに選出されました。

二回目は、1981年の6月、今度は松竹の大船撮影所です。
この時の記憶は鮮明です。憧れの「男はつらいよ」のセット撮影を見学出来たのですから! 第27作「浪花の恋の寅次郎」の撮影中で、マドンナ役の松坂慶子さんにはお会い出来ませんでしたが(遠目には撮影を見学できました)、とらやの面々に会えたのです。渥美清さん、倍賞千恵子さん、前田吟さん、三崎千恵子さん、下条正巳さん、そして笠智衆さん、佐藤蛾次郎さん、太宰久雄さん、美保純ちゃん、そして、山田洋次監督、高羽哲夫カメラマン、ほら全員ですよ。しかも、撮影の合間に談笑に応じてくれたり、サインはもちろん、一緒にカメラに収まってくれたり。もう夢心地の数時間でした。
加えて、同時上映だった「俺とあいつの物語」の撮影も行われていて、こちらの見学も出来たし、武田鉄矢さん、伊藤蘭ちゃんともパチリパチリと何枚も!

これだけにとどまらず所内で、大ファンだった蟹江敬三さんの姿も見かけたし、帰り道では、駅を降りるとどこからか「微笑がえし」が聞こえてきて、まさに至福の一日でした。

いつもの長いあとがき

前ページで紹介した鹿沼えりさんは、テレビ「サインはV」(坂口良子版)、「ゴレンジャー」などのあと、映画は主ににっかつで活躍した女優さんなので、一般的には古尾谷雅人さんの奥さんだった方と言った方が、通りがいいかもしれませんね。過去形の表記にしたのはお分かりですよね。

古尾谷雅人さん(デビュー時は古尾谷康雅)。
テレビでは「3年B組金八先生」第2シリーズ。中島みゆきさんの名曲「世情」とともに伝説となった「腐ったミカン」のエピソードでは不良グループの先輩役、山田太一脚本の「男たちの旅路」シリーズでは、障がい問題に真っ向から取り組んだ「車輪の一歩」での車いすの青年役。その演技のスケールはブラウン管を飛び出して、映画では「ヒポクラテスたち」「丑三つの村」など、これからというときに40代半ばで自ら命を絶ってしまうとは…。

この「車輪の一歩」は、作品の完成度とともにそのテーマ性からか、ドラマとしては珍しく何度か再放送され、私も2度は見ています。
本作には他にも、斉藤とも子さん、京本政樹さん、斎藤洋介さんなどブレイク前の若手が多数出演しており、とりわけ斎藤洋介さんにとっては出世作と言えます。これをきっかけに「家なき子」など、なくてはならない名脇役となりましたが、残念ながら彼も病気で故人となってしまいました。

暗い話題となってしまったので、締めは明るい話を。
先の映画サークルでは、まだ学生だった小原玲くんがカメラを担当していました。後年「アザラシの赤ちゃん」など動物写真で名を馳せることになろうとは思いもよりませんでした。というのもプロカメラマンになったころは、「フライデー」などの写真や、天安門事件、湾岸戦争などの報道写真が中心だったからです。「人を撮るのに疲れた」というのが転身した理由だそうですが、小説家の堀田あけみさんという伴侶を得たこともあるのかもしれませんね。        (沼田)

 ※追記。本文中に登場した蟹江敬三さんも、小原玲くんも、故人となってしまいました。合掌。