壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.23

◆今回冒頭には友人が登場するのですが、発行後に言葉足らずですよというご指摘を受けました。「最近は」アニメの話題がないですねと言うことを言いたかったそうです。なるほど。でも、最新作「ライオン少年」を見て、深い感銘を受けました。そして、今回の文中には同じ中国アニメ「ナーザの大暴れ」も登場します。かなりのオタクでしたね(笑)。さ、今日からは宮崎アニメが始まります。

まちポレ壁新聞№101 2023年2月15日

実は、

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.66)

30年以上もやり取りをしている友人から、壁新聞でもメールやLINEでもアニメの話題を聞いたことがないから、見ないの?と思いもよらない問いかけを受けました。え、そうでしたか? 
 以前にも少し触れましたが、壁新聞によく登場するのは、「男はつらいよ」をはじめとする山田洋次作品、山田太一さんや向田邦子さんなどのドラマ、映画音楽、映画館にまつわること、そして最近はインド一辺倒(笑)。確かに偏りは顕著です。
 それで、今回はその誤解を解くべく(笑)、アニメに特化します。

 まず、ジブリ。
 ずうっーと昔から見てます。「風の谷のナウシカ」はジブリ以前の作品ですが、前売券を買って歌舞伎町にあった新宿東急で見ました。キャラクターポスターも買い、部屋に飾っていました。「ルパン三世 カリオストロの城」はこれまでで一番多く見た映画だし、ジブリファンの間ではあまり俎上に載らないから逆に肩入れしたくなる「天空の城ラピュタ」は、オープンの手伝いに行ってた劇場の開館第二弾で思い入れもあるし、息子にかこつけて自分のためにDVDを買ったぐらいなので、筋金入りのファンと言っていいかもしれません。 
 宮崎アニメだけでなく、高畑勲監督作品も「おもひでぽろぽろ」はもとより、「火垂るの墓」も「となりのトトロ」ともども封切で見ているし、「パンダコパンダ」「名探偵ホームズ」も劇場で、「セロ弾きのゴーシュ」はホール上映まで追いかけ、「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)に至っては何指かに入るぐらい大好きな作品、忘れることのできないヒロイン(ヒルダ)でもあります。この作品は暗いイメージがあるけれど、ヒルダが一瞬、一度だけ見せる笑顔があり、その笑顔に会うためにも再見してみたいです。

東映まんがまつりがあったころは、浦山桐郎監督の「龍の子太郎」(1979年)も見たし、「霧につつまれたハリネズミ」という1975年製作の旧ソ連の短編は、見て衝撃を受けました。これは10分ぐらいの短編なので、何かと一緒だったはずです。「ゴーシュ」とだったかも?
 中国のアニメ「ナーザの大暴れ」(1979年/翌年公開)という作品も見ました。力強い筆致だった記憶があります。この作品は「ホルス」同様少年が主人公で、あちらは漁村、こちらは農村が舞台。今見たら、何かしらの共通点や影響を感じ取ることができるかもしれません。
神様、手塚治虫さんの虫プロ「ある街角の物語」「展覧会の絵」(1962年と1966年)は文芸地下で見ました。これは再見したい作品の筆頭クラスです。
ディズニーの「わんわん物語」(1955年)は、巡業の手伝いに行ったときに見て、後年劇場でも見ました。スパゲティを食べる場面は語り継がれますよね。

 これでちょっとは濡れ衣が晴れたでしょうか(笑)。
 実は、結構なアニメオタクだから、それを隠すためにこれまで触れてこなかっただけだったのかもね(笑)。

 いつもの長いあとがき

 でも、オタクというと「キモイ」となるのに、マニアと表現すると高尚に感じるのはどうしてなのでしょう? 私の場合は、どっち(笑)。前出したタイトルは全てスラスラと出てきたから、やっぱり見事な〇〇か⁉

 これらの作品にスクリーンで触れることができたのは、個性豊かな番組を組んでくれた名画座があったからです。低料金で見ることができ、しかもほとんどが二本立てだったから、どれだけ恩恵を受けたことか。

 誌名は聞いたことあるけれど、一度も読んだことのなかった「東京人」。友人が「寅さんと東京」(2020年1月)という特集号をプレゼントしてくれたのがきっかけとなり、バックナンバー2022年12月号を書店で取り寄せました。「東京映画館クロニクル」という特集が目当てです。表紙には閉館した名画座や現在のミニシアター6館のイラストが描かれています。宮崎祐治さんの手によるものです。キネ旬決算号でのイラストによる一年回顧、それに風刺をこめた一言を添えた連載でお馴染みです。もともとは、文芸坐の紙袋のデザインで知られていましたね。
 この表紙の中で私が<通った>のは池袋文芸坐、飯田橋ギンレイホール、銀座並木座の3館で、いずれも壁新聞で触れてきました。すべて閉館してしまいましたが、文芸坐は新文芸坐と館名を変えて、経営者も建物も新しくなって同じ場所で甦っています。
 先日は、映画祭で上映する「わたしは最悪。」のDCPを転送することになり、それが新文芸坐宛で、「おー、文芸坐と同じ作品を上映するのか」と誇らしいような気持ちになりました(笑)。
 これは余談になりますが、単館系の素材は本数が少ないので、ほとんどが転送になります。北は札幌、苫小牧、仙台、南は高知など、行ったことのない土地もありますが、都市名だけはミョーに馴染みがあります。

 書きながら記憶が甦ってきました。「ナーザの大暴れ」は自由が丘にあった武蔵野推理劇場で見ました。何度か取りあげた「ある日どこかで」もそうです。館名から分かるとおりの古い映画館だったし、自由が丘なんて自分には縁のない街だったけれど、名画のためならどこへでもという、若かった頃の私でした。 
                              (沼田)