壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.56

◆現在まちポレでは、『リニューアルオープン6周年記念企画』のドキュメンタリー作品を上映中です。そんなわけで今回は、ちょうどオープン4周年に当たる日に発行した、オープニング作品にまつわる内容の81号をご紹介します。
 2年前のこの時期は『日本映画の黄金時代 巨匠×若尾文子』と題して、「越前竹人形」など5作品を上映中でした。周年イベントは1年目と6年目の今年がドキュメンタリー作品で、昨年が「バーフバリ」二部作などのインド映画特集でした。何なのこの節操のなさは(笑)。

◆『まちポレ壁新聞』最新134号『甦る記憶』(7/3発行)は、5階ロビーに掲示中です。
 ※111号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞 №81 2022年7月13日

はじめの一歩

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.46)

「遙かなる山の呼び声」の紹介がらみで何気なく使った、「オープニング作品」という言葉。考えたらシネコン時代の今は一気に20本ぐらい該当する作品が出てくるのですね。そうなると個別の<作品>に対する思い入れという映画ファン的立場より、コンセッションの売り上げや一日の動員の方が気になるのは当然です。今だって忙しくなると一本一本、感傷に浸っている暇も余裕もありません。
却って学生時代に映画館でアルバイトした頃の方が、多感な年代でもあったし、売り上げの心配も無用でお気楽だった分、作品自体への思いは強くなります。

最初のアルバイトときに掛かっていた作品は「復讐するは我にあり」で、7月のことでした。その前週に「ティア・ハンター」を見に行って、アルバイトのお声掛けを頂いたのです。それにしてもこの並びは、インパクト凄過ぎです。共に遅れての上映でしたが、その年の邦洋ベストワン作品の競演ですよ。

この二本の公開が遅れたのは、同年のゴールデンウィーク明けに別系統4館が建て替え工事に入り、長期休館に入ったという事情があります。松竹邦画系、同洋画系2館、そして名画座が1館でした。興行的には市内で3番手に位置する映画館でしたが、とにかく一挙に4館も減って、しかも3番手ということは大きなヒット作はないけれども、映画ファンの心をくすぐる作品が並んでいたということです。更に2本立て500円の名画座を失ってしまい、映画ファンの落胆ぶりときたら目を覆うばかりでした。

そういった事情から先の2作の公開が遅れたわけですが、「ディア・ハンター」には、短編アニメ「ピンク・パンサー」が2本付いていました。実際に見て面白かった記憶はあるのですが、これが全国一斉なのかどうかは不明。同じユナイト作品ではありますが、ここの館主はいい意味で変わっていて、過去にも「風と共に去りぬ」の再映に「彫る、棟方志功の世界」という文化映画(キネ旬ベストワン)を併映したりしていたので、オリジナルの企画と考えられなくもありません。
余談ですが、友人の中学の先生は、4時間の「風と共に去りぬ」を見ないで38分の「彫る」だけ見て、感動して帰ってきたそうです(笑)。

一方の「復讐するは我にあり」は、リアルタイムで初めて触れる今村昌平作品でした。ティーンエイジの私には難しかったけれど、凄いパワフルな監督がいるもんだと、漠然とではありますが感じ入りました。
こちらには、同時上映でジョン・ウェインの遺作「ラスト・シューティスト」が付きました。館主の面目躍如たるカップリングと言えるかもしれません。

いつもの長いあとがき

申し遅れましたが、アルバイトはこの映画館ではありません。いくら何でも渋すぎます。系列の新館が7月中旬にオープンするので、そちらを手伝ってほしいというものでした。

開館番組は「リトル・ロマンス」と「ラッシー」という東宝東和配給の二本立て。

前者は、何度見たことだろう。思い出すだけで、胸に熱いものがこみ上げてきます。ダイアン・レインと男の子(この一作だけで芸能活動はしていないそう)のピュアな初恋物語。それを見つめるサー・ローレンス・オリビエ、サリー・ケラーマンといったプロ中のプロの役者たち。やさしく奏でるジョルジュ・ドルリューの音楽。それらをまとめ上げたジョージ・ロイ・ヒルの職人技。映画の魅力を堪能できる1時間49分の小品佳作です。
「ラッシー」は未見ですが、家族揃って安心して楽しめる二本立てでした。

ここの映画館が当時として画期的だったのは、それまでの単独の建造物と違い、ファッションビルの6階に造られたことです。第2弾の「エイリアン」ももちろん大ヒットして、日本各地から視察に訪れたと聞きます。
ただ、後付けでビルの中に造ったため定休日があり、営業時間も制限されたというデメリットもありました。しかし今ではまちポレがそうであるように、ビルの中にあるのが当たり前ですからね。さきがけと言えました。
 これは1979年、夏の出来事でした。

 冒頭に書いた「遙かなる山の呼び声」がオープニング作品となる新館が誕生したのは、翌年4月のことでした。ただ、4館から1館のみに減ってしまったのです。しかし、それを忘れさせるほどの立派な大劇場でした。1階が280席、2階が102席という、当時の感覚から言うと倍近い客席を誇る巨艦でした。更に、スクリーンのカットマスクは、左右はもちろん上下マスクまで開閉するというもので、スクリーンカーテンが開き、シネマスコープの時に上下マスクが広がるときの高揚感。どっぷりと夢の世界へといざなってくれました。
 一般的にはゆったり見られる2階席が人気でしたが、私は下から仰ぎ見るのが好きだったので、もっぱら1階席でした。「映画は見上げるもの」が信条です。

 最後に衝撃の告白を。「遙かなる山の呼び声」は実は二本立てでした。その同時上映はというと、何と何と「クレイマー、クレイマー」です! 映画会社とはどういう契約だったんだろう?                (沼田)