壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.61

◆ある日妻が、番組表を見ながら「ダイ・ハード」を録画予約しました。しかも、シリーズ①~③まで。そして後日ちゃんと見ていた。私自身もそうだけど、録画しちゃうといつでも見られるという安心感から、ズルズルとそのままというパターンに陥りがち。➀に関していえば、それこそ掛け値なしの面白さだから、何となく見始めたのに、気が付けばエンドクレジット。
そんなわけで今回は、「ダイ・ハード」も絡めた娯楽映画礼賛の23号をご紹介します。

◆『まちポレ壁新聞』最新136号『映画=邦画+洋画』(8/23発行)は、5階ロビーに掲示中です。
 ※121号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞 №23  2020年6月8日

職人讃歌

タイトル未定の新しいコラム (その23)
 
 今回書くことは、いつにも増して偏見オンパレードです。

 映画監督などモノを作る人を指すときに、名匠、巨匠といった冠を付けることがありますよね。例えば、巨匠黒澤明監督、名匠小津安二郎監督、あるいはデビッド・リーン監督だとどっちだろ? やはり名匠の方がふさわしいかな⁉
 一方で、《職人》と呼んだ方がしっくりくる方もいます。ジョン・スタージェス監督やロバート・アルドリッチ監督などがそれに当たるかな? 更に付け加えると、《鬼才》と呼ばれる方もいます。サム・ペキンパー監督はそうかな。

 と、ここまで読んだら一行目に戻ってくださいね。よくある、「注/感想には個人差があり、あくまでもその人(つまり私だ)の感想です」ということです。
 かなり乱暴に分けてしまうならば、巨匠・名匠は人間ドラマや文芸系などの芸術作品、職人・鬼才はアクション活劇やR15系など娯楽映画の監督を評して使われます(稀に「異才」という表現もありますが、ちょっと特異なジャンルの、特に新人に対して使うことが多い)。
 例えば、「アクション映画の名匠」という表現はあまり聞いたことがない。なんか、語呂も悪いゾ。

 そして、やはり芸術作品の方が娯楽映画よりは評価されて、活劇やコメディは一段格下に扱われているような気がします。
「芸術は金がかかる」し、「巨匠」は映画が完成しなければ、公開時期を遅らせたりも出来ます(笑)。一方、「職人」たちは、与えられた役者を使い、予算不足でも天候不順でも、それを逆手に取りアイデアで勝負という潔さ、開き直りがあるような気がしませんか?(ジャッキー・チェンがいい例)。

 ここで再び冒頭の一行目を読んだうえで次を読んでほしいのですが、芸術作品はちょっと才能があれば作れそうな気がするけど、娯楽映画の傑作は、よほど才能のある人でないと作れないような気がするのです。

 だから私はもし、芸術作品、活劇の二者択一だとしたら、後者を支持したいと強く思うわけです。
 例えば、「ダイ・ハード」。アクション映画の「名作」。私は公開当時、本作の感想を聞かれたとき、「缶コーヒーを飲むのを忘れるぐらいの傑作」と表現しました。映画が終わってカップホルダーを見たら、プルトップを開けてさえいない缶コーヒーが常温になって残っていたのです。それ以来コーヒーの減る量が、面白さを図るバロメーターになってしまいましたとさ(笑)。
 ジョン・マクティアナン監督の次作、「レッド・オクトーバーを追え!」も高水準の面白さでしたね。しかし、監督がレニー・ハーリンに変わった「ダイ・ハード2」にはがっかり。確かに監督「らしさ」(よく言えば、個性)は出ていたけれど、《質》が違い過ぎました。特に私は早番の仕事上がりに、先行上映を立ち見したゆえ尚更です(それだけ期待してたのさ。疲れた~)。

今回は短めのあとがき

 このところこの紙面に登場することの多いヒッチコック監督は、渡米後、アメリカでのサスペンスの評価の低さに愕然としたそうです。後年、トリュフォーらヌーベルバーグの監督たちによって正当な評価がなされたというのは有名なハナシ。
 だいたい、正統派のゲージツ映画ばっかじゃツマンナイでしょ。プログラム・ピクチャーは、作家・観客どちらの《育成》にも必要不可欠!! 例えば、東映セントラルフィルムからどれだけの監督たちが育ったことか。
 次回はそれらについて触れる……のは私では無理だな、ちょっとかじった程度しか見てないから。

 学生のころのことですが、親子ほど年の離れた方々が設立した映画サークルの仲間に加えていただきました。映画のみならず、いろいろなことを伝授いただきましたが、《モノ》の授かりもあり、「東映映画30年」という、約40年前に刊行され、当時で7000円もした豪華写真集も、「こーゆーのはお前みたいなのが持っているのが一番いいんだ」とあまりにもあっさりと譲ってくれたのです。その選択が果たしてどうだったかは、下記のエピソードを読んでいただければ…。

 3月に、まちポレ事務所の模様替えをし、いろんなものの断捨離も敢行しましたが、「大映10年史」という、先のと同様の豪華本(1951年刊行らしい)が出てきて、それを社長がこの壁新聞と十把一絡げに扱い、「隣に置いといたから」とケロッと言ったので、慌てたのは私の方(笑)。
 「社長、あれはフィルムセンターに寄贈するクラスの、ン万円もする本ですよ!」と速攻で撤収(笑)。ま、それ故に今まで抽斗の中に埋もれていたのかも。幸運でした(笑)(アマゾンでは、一万円前後で取引されてるようですね)。

 私が好んで使う表現に、「人によっては貴重品」というのがあります。
  「ちょっと待て、捨てる前に〇〇に」
 〇〇部分には個人名が入るわけですが、私の回りにはそーゆー輩がウジャウジャいる。もちろん、私を含めて(笑)。         (沼田)