壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.60

◆今回は、電子版初の連(番掲)載です。この月はコロナで他にすることがなかったのか、はたまた書くことでその鬱憤晴らしをしていたのか、6回も発行していました。
 ヨソ様にも掲載済みなのですが、その際、一部「個人の感想です」という注釈が加えられました。本紙自体が個人の感想しか書いていないのですが(笑)、公的な場だとそうもいかないのですね。なお、生涯学習プラザでの展示は企画ものだったようで、現在は撤去されております。

◆『まちポレ壁新聞』最新136号『映画=邦画+洋画』(8/23発行)は、5階ロビーに掲示中です。
 ※121号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞 №32  2021年5月6日

高座を一席

タイトル未定の新しいコラム (その32)

実は私、他県で映画の講座を持っています。
と書くと何だか偉そうですが、友人が県の生涯学習課の仕事をしていた関係からお声がかかり、映画に関する与太話を二人で一時間半披露するというだけ。
人前で話すのは得手ではないけれど、昔話や興行に関することを話すだけでいいということから、単発だからと軽い気持ちでOKしたら、世の中には奇特な方がいるもので、思いのほか好評でレギュラー化してしまいました。

上期と下期の年二回、それが3回続いたところでコロナ禍により中断、一度再開したけれど、再び中断で今に至っています。

十数名程度という募集に対して、毎回十名前後の参加。これで好評と言えるのかという素朴な疑問もわきますが、<主催者側に好評>というのが正確なところです。
まさか続くとは思ってもいなかったので、初回は資料のみ準備して、あとは思いつくままにダラダラと。換言すれば壁新聞に書いてることを壇上でやってるだけですね。だから、私は<高座>と呼んでいます。こちらの方がふさわしい。

壇上で昔話を話すのも楽しいけれど、メインは主催者たちと食事をとりながらの、終わった後のバカっ話。自分たちにとっては講座の席が前座のようで、話はとめどなく。
面白いのは、四人で話してて<ン?>のことが出てきても、誰一人スマホでググろうとしないことです。みんな自分の記憶に自信があり、あるいは誤認があっても誰かがフォローするといった具合で。

そしてこの講座は、私に思わぬ副産物をもたらしてくれました。
公報で懐かしい私の名前を見た方が、参加してくれたことです。一人は中学高校と同級だった女性、もう一人は、高校の映画教室でお世話になった先生。
同級生とはン十年ぶりの再会となりましたが、それが今では壁新聞の貴重な読者となりました(笑)。後出の先生とは高座の後に、「君は僕をスキになる」の出張上映を<ネタ>にしてもらいましたということを話しました。

そうそう、前号で「カリオストロ」の件を読んだ高座仲間が、あの年に私が選んだ助演男優賞は「銭形警部」だったよと連絡をくれました。どうして人のことを覚えているのか(笑)。これだものスマホ要らずだワ(笑)。加えて、こういう選出をしたというもの天の邪鬼の自分らしいかな。

いつもの長いあとがき

気が付けば、前ページには作品の内容に関することが、一つも出てこなかった。

講座を引き受けた理由の一つには「伝えていく」ということがありました。もう自分たちがそういう世代になったということですね。

この冬、草野心平記念文学館に於いて「映画館の記憶」と題した聚楽館の写真展が開催されました。私は初週の平日にお邪魔したのですが、予想以上に見学者がいて意外でした。ただ、展示内容は写真が中心で、モノはのぼり旗とパンフレットぐらいしかなく、30分で見終えてしまう物足りないものでした。以前、暮らしの伝承郷で同種の古い映画の回顧展があり、そちらの方が楽しかったですね。いち映画館に限定し、さまざまな制約があったのかもしれませんが。
片手落ちだなと感じたのは、「併せて、生涯学習プラザの展示もご覧ください」と言った旨の案内がなかったことです。あちらの展示も労作で充実しています。併せて見ることによって一層深いものとなるし、街の回遊性という効果も期待できますから。ちょっと残念でした。
ただ、貴重な展示会には違いなく、私はパンフレットを数冊買い求め、友人たちに送りつけました(笑)。

幸いにして私は、<名画座>が、その<実態>とともに存在していた最後の方の世代に属し、尚且つ、ミニシアターブームの黎明期~成熟期ともシンクロしていたので、映画に触れる土壌としては恵まれていたかもしれません。

高座の席では、一応担当者から「こういったことを中心にして、あとはご自由に」という課題はあり、私も流れはプランニングして臨むのですが、シナリオが次々に書き換えられる撮影現場のごとく……。
逆に、何度目かの高座の際は、このテーマでやりたいと指定したこともありました。開催日がちょうど7月7日で、この日は、ン十年前にオールナイトのイベント上映を行い、「七夕の夜、映画ファンは集まった」とのお題で、その結果報告をしたことを思い出したので。

このオールナイト上映会は「フィルム・マラソン」と呼ばれ、多分、高知のキネマ旬報友の会主催によるものが発祥だと思います。検索したら、1977年の第3回のイベントが出てきました。夜通しで、邦洋新旧問わず5本ぐらいの映画を上映し、幕間にはお楽しみ抽選会、あるいはゲストトークを交えたりのお祭りイベントで、それが各地へと波及していきました。
私の所属していたサークルもそれに倣い、その一回目を開催したのが1978年でした。その内容に踏み込もうとしたところで、残念ながら紙面が尽きました。
これもまた高座と同じ。5館の劇場オープンの話を順に始めたのに、3館で終わって、そのまま他の話に脱線しちゃったのですから(笑)。    (沼田)