壁新聞

【『まちポレ壁新聞 -電子版-』更新しました。】Vol.45

◆電子版の前号で、向田邦子さんの輪ゴム絡みのエッセイが思い出せないと書いたら、何と読者二名(友人)から<情報提供>がありました。なんて面倒見がいいんだろうと思いながら、あれ?こんなことが以前にも一度あったよなぁと思い出したのが、今回紹介する2年半前の38号。「神様のくれた赤ん坊」のエンディングに流れた高橋真梨子さんの『もしかしたら』の収録アルバムを探しているけど見つかりません、ということに関するアンサーでした。
※実際の「悲願成就」の件は、36号で触れています。機会があればいずれまたの機会に。

◆『まちポレ壁新聞』最新125号『映画を“見る”』は、5階ロビーに掲示中です。
 ※101号以降のバックナンバーのファイルもあります。

まちポレ壁新聞 №38 2021年6月5日

記憶と記録

Time My-Scene ~時には昔の話を~ (vol.3)

悲願成就。
みんなに捜査協力してもらった、高橋真梨子さんの「もしかしたら」収録アルバム、そうだこの手があった!と思い立ち、レンタル店で探してみたらあっさりと見つかりました。早速帰りの車中で聴いたのですが、あれ?映画館で聴いた時はもっといい曲だったはず…どして? もちろん同じ曲です。要するに、その年のベストワンの映画を見終えた直後のエンドクレジットを余韻に浸りながら聞くのとでは、環境が違いすぎたということですね。ン十年ぶりの邂逅を果たした初恋の人は、往時の面影はなく…(それとはちと違うか)。

映画は虚構の世界だから、そこに「現実」が関与してくると、ミョーにこそばゆくなりますよね。
前号で伊丹十三さんのことを書きましたが、もう一人、小林薫さんとも同じ会場で見たという経験があります。この時は映画館ではなく、水戸芸術館ACMシアターでの芝居でした。以前からファンの「仲手川耕一兄ちゃん」(ふぞろいの林檎たち)が二列後ろ下手側に座ってるんですよ。視線に入るし、反応は気になるしで、おかげで見た芝居が思い出せない(笑)。

芸術館では、野外劇が夏の風物詩でした。
夏の終わりに、芝生に座って夜風を感じながら見る異空間の世界。初公演は90年代の初めだったと思いますが、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は確か出演者を一般公募しての公演で、高校生なども演者にいて新鮮だった記憶があります。今の活動は不明ですが、野外上映会も恒例になったようですね。

私も一度だけ野外上映会を<行いかけた>ことがあります。夏祭り期間中の夜、映画館の入っていたビルの壁面に映してくれないかという大家さんからのご要望から。隣の駐車場に移動用映写機をセッティングし、いざアニメ映画の上映を始めようとしたところで、突然の雷雨。やむなく中止に至りました。残念。
そういえば、平の七夕祭りでもどこかの店先で16ミリを映写しているのに出くわしましたっけ。

書いているうちに思い出しましたが、以前、平の街なかにあった平サロンというスペースでは、何十年も前の市内各地のお祭りや日常風景などが記録された8ミリの上映会がありましたね。ほとんどが個人所有のプライベートフィルムだったと思いますが、これは貴重でした。<残す>というのは、言うは易しですが、実際には手間と労力とお金がかかりますからね。

いつもの長いあとがき

今でこそヘンな映画ばかり見ている私ですが(笑)、自分の意志での映画館デビューは「ロミオとジュリエット」(1968年)と「燃えよドラゴン」(1973年)の二本立てアンコール上映という王道路線でした。極めてマットーだったでしょ(笑)。入替などない時代で、前者に感動した私は2回見たので、合わせると7時間ぐらい映画館の暗闇に身を潜めていたことになりますね。面白かったのは、帰りの駅に着いた時ホームで友人と鉢合わせし、そいつも7時間同じ空間で過ごしてたのに(同じく一回り半見ていた)、そこで初めて気付いたということ。立ち見でしたからね。あ、仲が悪かったわけじゃないですよ、「デンデケ」仲間だったし。
ところで、「午前10時の映画祭」にデュカプリオ版の「ロミオ&ジュリエット」がセレクトされていますが、あれの正式タイトルが「ロミオ+ジュリエット」とどっちなのか、いまだに分からない。自分のところで上映したにもかかわらず、です。 

福島県民のソウルフード幸楽苑、郡山出身の妻にとっては幼少からの馴染みの味と言えますが、かつては、店内に飾られた看板に詩のようなものが書いてありました。映画や祭りの帰りに食べたラーメンの味が忘れられない、といった内容のものです。
このポエム?そのままの幼少体験があります。
「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」(1967年12月封切)を地元で見たのです。あの頃はまだ、人口4万未満の都市でも映画館がありましたからね。
いくつかの場面を覚えています。ミニラが尻尾で縄跳び?したりとか、放射能?を煙草の煙のように輪っか状に吐きだしたりとか。
見終えて外に出ると、小雪が降っていました。それだからでしょうか? 三人で中華そば(この方がしっくりくる)を食べたのです。忘れられないのはその味でありません。一緒だったのが、すぐ上に住んでいた同級生とそのお父さんだったことです。どうして自分の家族が行かなかったのかは全く覚えていません。あの時の中華そばは、ちょっとしょっぱかったかな?
これが、自分の記憶にある初めての映画体験です。

自分が親となり、息子と、あるいは家族で一緒に映画を見るようになって思い出す、子どもの頃のほろ苦い記憶です。
その息子も高校生となり、同行するのは当然ながら親ではなく友達に変わりましたが、今日も部活の帰りに映画を見る予定があったみたい。これもいずれそのうちに<相手>が変わってくるんでしょうね。

というところで、この号を締めたいと思います。タイトルは、「記憶と記録」がいいかな? (沼田)