◆5月9日(木)、今日は「水平線」その他3本の映画の楽日。終わってしまう作品への惜別の思いと、明日から始まる新作への期待感に満たされる日。そんなわけで、ピエール瀧さんの「宮本から君へ」で締めた4年以上前の16号をご紹介します。
そして明日からは、待望の「バジュおじ」だぁ。2週間、まちポレが涙の海になる…⁉
◆『まちポレ壁新聞』最新131号『映画のマジック』(5/5発行)は、5階ロビーに掲示中です。
※111号以降のバックナンバーのファイルもあります。
まちポレ壁新聞 №16 2020年1月27日
映画館で見るということ
タイトル未定の新しいコラム (その16)
セカンドならぬサード上映だったにもかかわらず、好評で1週延長上映した「イエスタデイ」。嬉しかったのは、帰り際に映画のことを語りながら行くという光景が、そこかしこで見られたことです。当たり前と言えばそれまでなのですが、単館系の作品が多いまちポレはおひとりで来るお客様が多く、会話しながらというのは少なめだからです。
映画好きの友人が、以前こう私に言ってくれました。
「〇〇の何階で何を見たか、全部覚えてます!」
〇〇というのは私の前任地なのですが、雑居ビルで日本式の縦型シネコンだったため、スクリーンごとに構造が違っていました。ゆえに良くも悪くも特徴があり、画一的ではなかったので記憶に残りやすいと言えました。今はどこも金太郎飴のスタジアム式。年月が経てば、何処の何番スクリーンで何を見たかなんて忘れてしまうでしょうね。
が、そうは言っても、その友人のようなのは稀有な存在には違いありません。
シネコンが普及して大きく変わった点が二つあります。
ひとつは、開映ブザーがなくなったこと(あるところもあります)。
時間になれば、当たり前に始まります。
アナログのころの、映写スタッフが混雑時の入れ替えや売店を総出で手伝って時間を過ぎてしまったり、はたまた、ガラガラなのに時間になっても始まらず、「どうしたんだろ? フィルムセットを間違ったのか? それとも映写室で居眠り?」なんて気をもんだり…てことはなくなりました。プロ意識には欠けますが、おおらかな時代であったとは言えます。
そしてもうひとつは、スクリーンカーテンがなくなったこと。
これはデカい。私にとってはかなりデカいダメージです。
ブザーが鳴り、調光が落ち(今や予告編のときは暗くさえならない劇場がほとんどかも)、カーテンが開き(大劇場だと巻き上がるところも)……。
この時の「いよいよ始まるぞ」という高揚感。そして、この時に初めてスクリーンサイズも分かる! 映画館で映画を見るという醍醐味のイントロを、シネコンでは味わえなくなってしまいました。
そういえば先に挙げた友人が、渥美清さんの追悼上映で「男はつらいよ」旧作を初日に見たとき、フィルムが切れてしまい、何度か中断があったそう。ただ、それを咎めるわけでなく、逆に「旧作の初日の醍醐味」といった旨のことを言っていたのが印象に残っています。え、旧作のレンタルでも「針飛び」や停止はよくあるって。それと比べられてもねぇ……。
いつもの長いあとがき
しかし、予告で調光を落とさないのは、「まだ始まっていない」という解釈ですよね。これには異を唱えますね。
以前、映画音楽について書いた時、「ベン・ハー」には「序曲」が必要と書きましたが、予告は本編前の「序曲」ですよ! あー、この後これをやるんだとか、こんな予告の並べ方してるんだなどとそのセンスに思いをはせたり。
ただ、お客さんにも後から来たのに遠慮しないで通る人もいるし、館側としても明るい方が売店へ行きやすいということも確かにあり……。
前任地でのことですが、確かな映画を見る目を持ったアルバイトの学生がいました。ある日、息せき切らして「本編、始まっちゃいましたか?」と走ってきたことがありまして、残念ながら1分ぐらい経っていたのですが、すると彼は、あぁぁと後ろ髪を引かれながらも潔く諦めて帰って行ったのです。私と同類。例えるなら、監督は1時間59分の映画を作ったのであって、1時間58分に≪再編集≫したわけではないのですから。
何号か前のラストを「シコふんじゃった。」でわざとらしく終わらせたことがありましたが、それは、映画祭のゲストとして周防正行監督と交渉中だったからです。
その周防監督の最新作「カツベン!」は、今駅前でムーブオーバー中ですが、いきなり見たことのない東映のマークから始まります。おそらく、東映草創期のマークなのでしょうね。
これは記憶で書くので確信はないのですが、ジェシカ・ラングのデビュー作「キングコング」は、元祖RKOの例のマークから始まったような⁉ ティム・バートンは「シザーハンズ」で、20世紀フックスのロゴに雪を降らせましたよね。
こういう、作り手の先達への畏敬の念や遊び心に触れると、その瞬間に映画の世界に引き込まれてしまいます。
がらりと話題を変えて、「主戦場」。
1月10日からの番組が薄かったこともあり、暮れに急遽組んだのですが、浸透する前に二週間の上映を終えました。正直、もう少し多くの方に見ていただきたかったというのが本音です。
この作品は、秋の「しんゆり映画祭」で上映が突如中止になったことで、俄然注目を浴びる形になりましたが、これと同じような目に遭いながらも、さほど話題にならず、故に議論されなかった作品に「宮本から君へ」があります。
こちらは、内定が決まっていた国からの助成金が取り消されたのです。メインキャストの一人、ピエール瀧さんの出演場面をカットしなかったという理由で。ピエール瀧さんが罪を犯したのは事実だし、それを擁護する気は全くないけれども、芸術文化振興会がのちに要綱を改めたことも含めて、もっと議論すべきでなかったのかと思うのです。 (沼田)